2026-11-05

精進落としの席で出た話、あなたは覚えていますか

「お父さん、昔は厳しくてね。でも運動会の日だけは、誰よりも早く場所取りに来てたのよ」

精進落としの席で、親戚の一人がそう話し始めました。

みんなが笑って、うなずいて、「そうだったね」と言い合って。

でも、その話を書き留めた人は、たぶん誰もいませんでした。

結論から言うと、ああいう話は記録しない限り、その日のうちに消えていきます。忘れるからではありません。もう話す機会が来ないからです。

故人のエピソードは、なぜその日のうちに消えてしまうのか?

お葬式の日は、その人の話がいちばんたくさん語られる日です。

そして多くの場合、最後にまとめて語られる日でもあります。

廊下で、お斎の席で、火葬場を待つ時間に。

誰かがふと思い出して話す。みんなが聞く。うなずく。

それで終わりです。

次に親戚一同が集まるのは、一周忌かもしれません。そのころには、誰も同じ話を覚えていません。

精進落としの席、誰もいなくなった部屋の水彩画

誰が覚えている?——一人に任せると記憶は偏る

「お母さんが一番知ってるでしょう」

そう言って、記憶を一人に預けてしまうことがあります。

でも、お母さんが覚えているのは、お母さんから見た故人です。

息子が知っている父、孫が知っているおじいちゃん、友人が知っている横顔。

それぞれ違う一面を持っています。

一人に任せると、その他の記憶は語られないまま埋もれてしまいます。

写真では残せないものとは何か?

写真は、姿を残せます。

でも、口ぐせは残せません。

笑うときにいつも肩を揺らしていたこと、話の前に必ず「まあ」と言っていたこと、怒ったふりをして実は笑っていたこと。

そういう空気のようなものは、写真の外側にあります。

残せるとしたら、それは誰かの言葉の中だけです。

エピソードはどうやって書き留めればいいのか?

悲しみの最中に、白紙に向かって文章を書くのは、思っている以上に難しいことです。

何から書けばいいのか、どう言葉にすればいいのか、手が止まったまま夜が更けていく。そんな経験をした方もいると思います。

そんなとき、誰かが話を聞いてくれて、それをそのまま形にしてくれたら。

そう感じたことがあるなら、その人の話を、聞かせてください。おもいで文庫は、創作するのではなく、聞いて、書き役になることを約束にしています。

ランプの下でノートに言葉を書き留める手の水彩画

みんなで綴る、とはどういうことか?

精進落としで誰かが話したこと。

廊下ですれ違いざまに「そういえば」と出てきたひと言。

それぞれが知っている一面を持ち寄って、一冊に綴っていく。

一人が全部を覚えている必要はありません。

その日のうちに消えていくはずだった話を、家族みんなで受け止める場所があってもいいと考えています。

こうした「語られたのに消えてしまう話」については、『そういえば』で始まった話、三ヶ月後には誰も覚えていないでも触れています。心当たりのある方は、合わせて読んでみてください。

縦書きの文庫として残す意味とは?

綴った言葉は、縦書きの文庫という形にして残します。

画面の中にしまっておくものではなく、手渡せるもの、棚に置けるものとして。

「その家の蔵書」と呼べるような一冊になればと考えています。

木の棚に置かれた縦書き文庫本の水彩画

成功したかどうかの基準は、売上でも感想の数でもありません。

読んだ家族が「うん、これはあの人だ」と言ってくれるかどうか、そこだけを見ています。

精進落としの席で出た、あの話。

まだ覚えている人がいるうちに、聞かせてもらえませんか。

AIが創作するのではなく、聞き手として大切な人の物語を家族とともに綴り、一冊の文庫として残すサービス

その人の話を、聞かせてください

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